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Hitachi

日立オートモティブシステムズ株式会社

CAREER STORY

2006.10ものの動き、お金の動きから、企業の現状を把握する。

新入社員として川崎事業所に配属され、ブレーキとサスペンションの部品調達を担当しました。社内での製品製造などに必要となる部品・素材を仕入れる仕事ですので、ものの動きやお金の動きを把握することができるようになりました。調達は社外サプライヤーと日立オートモティブシステムズをつないでいく役割があり、様々な部署や人とのコミュニケーションのとり方や調整などについて学ぶことができました。

2008.10仕入れから、事業全体を見通せる。

調達の主な仕事としては、社内からオーダーがあったものに関して、いかに品質がよくて原価の安いものを仕入れるかというものです。しかしこの期間に経験したのはそれとは違った集計や支払、契約関係などの業務。特定の製品や素材に対する仕入れに関してではなく、購買活動全体に対する管理業務を行いました。全体でどれくらいのお金がどんなものに対して使われているのか。事業に関して、仕入れの面から把握することができたように感じます。

2009.10現場により近い場所で、チームならではの力を発揮。

川崎購買部から各工場に調達が分散し、私も山梨工場での勤務となりました。ここでは新たな製品の立ち上げが決まり、新規サプライヤーの開拓から短期間で多くのことを進める大変な時期を経験しました。一方でそれまでの川崎事業所勤務とは違い、工場勤務となることで、他部署との結びつきが強くもなりました。自分だけではできないことをチームで対応することの大切さ、心強さを感じることができたように思います。

2013.03調達から工場運営まで。経営そのものを意識する経験。

初の海外赴任。中国企業への出向を経験しました。中国外からの調達や、安価資材の日本への持ち帰り提案など海外とのやり取りも多く、グローバルな仕事をしているという実感が最も大きかった時期です。マネージャーとして出向したため、これまでの調達の業務とは異なり、収益なども含めた工場運営に関わり、「経営」を意識することもできました。現地スタッフとの関係構築は苦労もありましたが、振り返ると貴重な経験だったと思います。

2015.045年目以下が半数以上。次の課題は若手育成。

中国から帰国し、再び山梨工場へ。主任業務にあたる事になりました。私が山梨工場で調達をしていた頃に比べて人員は増えたのですが、若手が多く、知識や経験の不足が課題となっているのが現状です。これからの私のミッションは、彼らをいかに育成していくかということ。メンバーの半分以上が5年目以下ですので、これからのキャリアをどのように描いていくのかをともに考えながら、この仕事の面白さ、大切さを伝えていきたいと考えています。

MESSEAGE

調達の仕事として大切なのは、どれだけ品質のいいものを安く買えるか。どのサプライヤーからどんな価格で購入するかを決めるのはとても重要なポイントです。しかし品質や価格に加え、継続的に仕入れるにあたりデリバリーに難はないか。あるいは、信頼のおける商品かどうか。目をつけていかなければならないポイントがたくさんあります。そういった点も含め、社内と社外のサプライヤーをつなぎ、多くの部署や人、会社を巻き込んでいく。大規模なものを動かしていく醍醐味がこの仕事にはあるのではないでしょうか。

2007.04制御システム設計部に研修員として配属。

日立オートモティブシステムズでは、入社後2年間は「研修員」という立場。配属された先で働きつつ、2年後にはその場所で得たものを論文にして成果発表を行います。私は車両燃費評価を目的とした統合シミュレータ開発に従事し、その解析結果を報告しました。日々の業務以外では、英語が苦手だったため社内の英語研修制度を利用してTOEICの継続し、1年間で70点ほどのスコアアップを達成しました。

2009.04制御システム設計部でモーターシステム制御担当に。

研修員時代に引き続き、制御システム設計に携わりました。変わったのは、モーターの制御システム開発を担当し始めたこと。同じ部署でありながら扱うものが変わったため、勉強会に参加したり独学で知識を深めたりなど、モーターの制御理論を学びました。設計のフェーズと検証フェーズのどちらも経験することができ、製品に関する理解を深めることができたと感じています。

2011.11海外研修制度を利用しHIAMS-EU Technical Centerへ。

入社5〜10年目の社員を対象とした海外業務研修制度により、ドイツの現地法人であるHIAMS-EUへ赴任しました。海外旅行すら経験がなく、英会話も苦手な私にとって海外で働くことは大きなチャレンジであったように思います。海外のお客様向け窓口担当として打ち合わせ、トラブル対応、あるいは日本出張者のアテンドなどを行っていました。とにかく大変だったのは、苦手だった英語。はやく慣れようと、できるだけ現地スタッフに話しかけるよう努めていました。半年ほどですが、現地のドイツ語学校へも通いました。

2013.04再び制御システム設計部へ。

ドイツからの帰国後、電源の制御設計の担当となりました。特定のお客様のオーダーに応える形ではなく、社内先行開発のような業務です。その後半年ほどで顧客対応での先行開発に業務シフトしました。お客様の要望に対応した最適な電源方式の検討、シミュレーションによる効果確認、検討結果説明などを行いました。こちらも初めての部品が多かったので、理論をいちから学び理解を深められるように努力を重ねました。

2014.04マネジメントの手法に関しても新たに模索中。

欧州のお客様向けの製品、DC/DCコンバーター制御開発の担当となりました。業務内容は、顧客要求からソフトウェア仕様の作成する事、作成されたソフトウェア動作を製品レベルで動作検証する事です。アサイン当初は自分ひとりで行っていましたが、フェーズが進むにつれて担当者の人数が増え、現在の私はメンバーの工程管理が主たる業務になりつつあります。製品づくりに関する技術力向上とともに、彼らのマネジメントに関しても現在模索中です。

MESSEAGE

技術者として働くことの大きな喜びのひとつに、わからなかったことがわかるようになった瞬間の喜びというのがあると思います。知らない製品に関して学んでわかるようになった、できなかった技術を研究して扱えるようになった、チーム内のタスクや納期を整理して予定通り仕事を進められるようになった。そういった「できた!」という実感を繰り返すことが、自分の成長なのであり、仕事をすることの喜びなのだと感じています。

2008.04機械系、大学院卒から、志望と異なる営業職へ。

最初の配属は自動車メーカー向けの営業職。機械系大学院卒だったため、当時営業は希望しておらず、困惑気味な走り出しでした。理系出身の先輩や上司と会話を重ね、「トライする」気持ちで営業の仕事を始めたことをよく覚えています。担当になった製品が配属直後に事業撤退となり、初めての仕事はお客様へ事業撤退のご説明と相談から。私の場合はちょっとイレギュラーな営業人生のスタートでした。

2010.04失敗から「信頼される営業」を考える。

先輩の異動を機に引き継いだ、担当製品。上司と私の二人だけでひとつの製品の営業を行なっていくことになりました。当時の上司は部下の裁量に任せるという方針を大事にしてくれたので、私はとりあえず思うようにやってみることに。ところが、そこでやみくもに営業活動をした結果、お客様との信頼関係を築くことができず、大きな案件を失注しそうになるという失敗を経験しました。しかしここでの失敗があったからこそ、自分の営業に何が足りないのか冷静に考え、改善することができたように感じています。

2013.04日本と海外。文化やスタンスの違いはルールでカバーする。

海外業務研修として、アメリカにあるHitachi Automotive Systems Americas, Inc.のケンタッキー工場へ赴任しました。現地にて日系OEM向け営業部に配属。米国で自動車市場の動向を調査しつつ、ローカルスタッフの営業スタイルやお客様との折衝を学びました。現地では仕事に対する考え方が日本とまるで異なり、日本では起きないような問題が生じることもよくありました。業務分担やルールを明確にすることで、現地の人に望みどおり動いてもらう仕組みづくりが大きなカギでした。

2014.10再び日本で、安全技術の最先端へ。

アメリカからの帰国後、日本では自動ブレーキの装備が拡大しつつあり、これからの成長製品である先進安全運転技術分野の制御コントローラを担当することになりました。ビジネスの拡大スピードが非常に早く、技術開発、先行開発、そして量産開発までを一気に駆け抜けるような分野です。何度もお客様との技術打合せを設定し、製品投入に向けて社内関係部署と一丸となって拡販活動を行っています。

MESSEAGE

営業職という想定していなかった職種でのスタートでしたが、そこから営業一筋。2015年から主任という役職にもつきました。自分自身の考えで営業活動をし、失敗していた時期から次第に、営業としてどうあるべきか、部署としてはどうすべきか、会社全体のことを考えるとどうだろうかと、少しずつではありますが視座を高く持とうと意識しています。自分の仕事が、事業や会社にどのような影響力をもつのかと意識することで、仕事の質もまた少しずつ変わってくるのかもしれないと実感し始めています。